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<罪状>
彼女はある男性に一方的に好意をよせ、交際を迫ったが断られた。しかしそれに腹を立てた彼女は、その腹いせに男性の妹を誘拐したうえ撲殺し、その体の一部を男性に送りつけるという残虐な犯罪を犯した。
裁判では彼女の精神状態が争点となったが、善悪判断能力が認められ、彼女は有罪判決を受けた。ところが、これほど計画的で残忍な犯罪にもかかわらず、判決は死刑ではなく有期の懲役刑だった。判断理由は被害者が一人で、過去の判例に従った・・・というもの。遺族ならずともほとんどの常識的国民が納得のいかない判決だ。
そもそも今の刑法には「○年以下の懲役」といったような書き方がされている。要は「減点法」であり、最高刑の「死刑」はよほどのことがないと適用しないということだ。なぜ「人を故意に死に至らしめたものは、その人数に関係なく、終身刑あるいは死刑に処す。ただし、特段の酌量の余地のある場合には、原告(遺族)の同意を前提として懲役20年を下限として減刑することが可能である」というような記述にならないのだろうか?
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この背景には日本のたどってきた暗い歴史が影響している。戦前、ファシズム・軍国主義だった日本では、国家の方針に従わない人間を支配層の意図で犯罪者に仕立て、人も殺していないのに半永久的に投獄したり死刑にしたりしていた。制限のない重い刑罰は、国家が国民を抑圧する手段にされていたのだ。
戦後民主化した日本では、その反省から、刑罰を無制限に重くできないように、「上限」を定めるようにした訳だ。ただ、司法の民主化では本来は刑罰の「量」を見直すよりも「質」を見直すべきだったのではないだろうか。つまり、思想や主張で罪に問うような法律がおかしいのであって、そういったものは改め、しかし一方で人を殺害するような罪については、社会の体制に関係なく許されないものであり、上限よりも下限を設けた重罰で対応すべきではなかったのだろうか。
いったい、こういった刑法などの改善は誰がどのように行えるのだろうか? 誰かが改正法案を提出し、それを国会が可決しなければならない。行政が立案する気がなければ、曲がりなりにも(?)国民の代表である議員が議員立法を出すしかないかもしれない。なんでも行政や議会に頼るな・・・と言われるかもしれないが、彼らはいずれも自ら志願してこの職につき、しかも我々から徴収した税金で給与を得ている。納税者が「要求」をするのは、当然のことだろう。
<責め>
身勝手な殺人者である彼女には、まったく同情の余地もない。皮肉にも清楚なイメージの紺色のセーラー服を着用させられ、その上から縄で緊縛されて陵辱され続ける。
なこうがわめこうが、精液を注入されるまでペニスが抜かれることはない。そして射精が済むとその都度膣内をジェット水で洗浄され、あらたなペニスを挿入される。真っ赤に腫れて肥大する彼女の花弁。容赦なく出し入れされる赤黒い巨根。彼女が死んだほうがましだと思うほどの激しい緊縛陵辱は、まさにエンドレスに続いてゆくのだ。
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