404号室 ○寺かすみ(36歳)
罪状:政治的オタク狩り

<罪状>
 彼女は宗教団体の理事を務め。同時に某人権団体の責任者として活動している。
 この人権団体は「人権保護法」なる法律の制定に向けて各政党などに働きかけ、多量の献金なども行っている。この法律、聞こえはいいが、人権侵害を判定する特殊組織を設立し、そこの判断で「人権侵害の恐れがある」とされた出版物は発禁、および出版者・著者等の逮捕ができるという、戦前の治安維持法をコピーしてきたようなもので、皮肉にもその実態は「合法的人権侵害法」と言ってもいい。
 このような法案提出の動きは、戦後何度もあったが、その都度多くの国民、議員の良識の前に阻まれてきた。そこで最近は献金活動を強化するとともに、密かに反対活動家を誘拐したり、拷問したりするなど、かなり強引な手法にでるようになってきている。特にアキハバラを中心としたオタク文化はこの法律の標的とされ、エロやフェチのみならず、美少女や萌えといった分野まで「犯罪の温床」として規制、処罰しようという動きもある。最も危ういのは、何を規制の対象とするかがこの「特殊組織」の独自判断でどうにでもできるということだ。そしてこれに反対するアキバ系クリエーターがこの推進組織に襲撃されるという事件が何件も発生した。
 近年の日本の治安の悪化を憂い、「予防」によって犯罪の抑制を図りたいという意図はわからないでもないが、民主主義とか人権とか自由とかいった我々の宝物は、その内容の中に「結果」だけでなく「手続き」も含まれることを忘れてならない。いくら表面上は犯罪が減り、人権が守られるようになったからと言っても、そのための手順として人々の人権と自由を抑圧するようなやり方をとってはいけないし、結局はそんな社会は崩壊してしまうのだ。簡単に言えば「正義の味方は汚いテで勝ってはいけない」。このことは、高い理想を掲げながら失敗に終わったソ連や東欧の社会主義国家や、強力な国家を築いたようにみえながら戦争に突き進んだナチスや戦前の日本のような全体主義国家の興亡の歴史を見ればわかるだろう。
 起きてしまった犯罪の処罰よりも、予防が大切だ・・・たしかにそれも一理ある。しかし@起きてしまった犯罪への処罰が軽すぎることがまず問題、A「予防」のやり方が問題、特に「予防」と称して人の思想、心情、嗜好、希望、夢、妄想、などといった心の中身を規制の対象とすることは許されない。「怒った、殺したい」と思うことが犯罪ではない。それをぐっとこらえるのが人間であり、こらえられずに実行するのが犯罪だ。犯罪の予防とは、怒り、欲望、殺意、衝動といった心のありようを、犯罪といった行為として噴き出させるストレス、圧迫、不安、困窮などの様々な社会的要因をできるかぎり和らげ、住みよい社会にしてゆくことなのではないだろうか。・・・でも、そんなことすぐには無理だ・・・だからこそ今まずできるのは、犯罪を犯してしまった人間を断固として許さないことではないだろうか。

<責め>
 どんな思想を持つかは人の自由だ。まさに、守られるべき基本的人権だろう。しかし彼女は自らの思想を具体化するために、反対意見の者を物理的に抑圧し、傷つけた。これこそがまさに犯罪であり。刑罰が与えられて当然なのだ。
 新体操のレオタード姿で緊縛された受刑者。大きく開脚して脚を跳ね上げた窮屈な姿勢のまま、縄を全身にかけられて緊縛・固定されている。苦しさに体をくねらせれば、股縄がハイレグの股間にグイグイと食い込んでワレメを激しく責めたてる。
「むあぁぁ!むふぅぅん!」
 苦痛となまめかしさの混じった喘ぎがボールギャグから漏れ出てくる。刑罰は人の人権を踏みにじった者への「人権侵害」の報いでもある。彼女は身体の自由と言論の自由を侵害され、責めたてられている。彼女が守りたかったものと侵したかったものがともに人の人権であった・・・その矛盾の整理に失敗したのが、最大の犯罪だったのかもしれない。